後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

新卒一括採用の闇と、真のキャリア教育(自由度の定義と、世間の価値観という落とし穴からの展開)。

「自由度」の定義とは何か?

 

それは選択の幅である。

 

選択の幅を広げることは、自分の価値観を知る良い機会にもなる。

ひとは選択肢の中からしか、人生を選べない。

だから、選択肢を広げ、可能性を広げることは大いに結構なことだ。

 

例えば、大学に入るということ。もちろん、高校生までにやりたいことと、やれることの掛け算がうまく行っていれば、その道に絞って進むも良い。

 

ただ、何かやりたいことかは本当にはわからない。だからとりあえず良い大学に行く。現実的にはそういう状態が、多数派であろう。もちろん、目的がまずあって、そのための学問や鍛錬、という順番が正しいが、いきなり目的と言われてもなかなか難しい。

 

広く人に出会うため、広く学ぶために。まずは、それでもいい。

 

そこでさらにアルバイトや、インターンの活動を通じて、自分にとっての合う合わないを知ることや、何かをやりきる体験を得ることになる。そこで、また選択肢の幅が広がり、そこから、何をとって、何を捨てるかの判断になる。

 

ここで落とし穴になりがちなのが、世間の価値観である。

 

自分の興味に従って、目の前のことに一つ一つチャレンジしていき、確実に「自分」の経験をしてきたはずなのに、「世間」の価値観が邪魔をする。決断を惑わす。

 

それは、1、2年生の頃に自分の興味に従って、自分の価値観で何かを選び、何かを試してきたはずなのに、3年生になると一斉に髪を黒く染め、スーツを着て、新卒一括採用のレールに乗ってしまうことに現れている。

 

いくら選択肢の幅を広げようとも、最終的には偏差値教育、現状の就活システムでは思考停止に落ちてしまう仕組みになっている。親や先生、マスメディアなど、世代が違う人たちの刷り込みもあるであろう。自由度をいかに高めようとも、そこに世間の価値観という落とし穴が待っている。

 

選択の幅を広げ、個性を発揮し、いわばマリオのスター状態だったとしても、穴に落ちてしまえば死んでしまうのである。ゲームオーバー。

 

そこに気をつけないといけない。

 

ただ、この仕組みを変えるには、なかなか手強そうだ。というのが現場での感覚である。よって、そこは「仕組み」ではなく、「ムード」ではないかと考えている。

 

個人の意識を変えて、事例を増やして、点の動きを、大きなうねりに変えていく。もちろん、そこは私個人や、自社だけでなく、他者や他社を巻き込んで。実際、そういった同じ意識を持ったひとは周りに本当に多いし、時代の転換期がきていることを肌で感じている。

 

まずは価値観を変えること。本当に自分にとっての幸せとは何か?を本質的に突き詰めた上で、仕事を選ぶ。これが正しい道ではないか?

 

働き方改革の前に、本質的に「働くとは?」ということを考える意識改革など、すべきことはあるはずだ。

 

内定を取るためのインターンやキャリア教育は、真のそれではない。

 

人それぞれが、幸せを得ながら働くためには、生きるには、どうすればいいか?そこに導くのが「真のキャリア教育」である。

 

また、その真のキャリア教育としての手段が、選択肢の幅を広げる体験であり、その一つが、長期インターンである(内定を得るための短期のものではなく)。

 

もちろん長期インターンだけが全てではない。読書や、旅などでもいい。

もちろんベンチャーだけが道ではない。その上で新卒一括採用を選び、自分の価値観で大企業を選んでもいい。

 

せっかく自由を得て、自由度を広げた先に落とし穴に落ちて欲しくないのだ。

それはまさに、鳥かごの中の自由。錯覚である。

 

偏差値教育、新卒一括採用には、

 

自由度を高めた先に絶望が待ち受ける、そんな危険がはらんでいる。