後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

みんながみんなシゴトでココロオドルには!?「新しい教育」の定義をしてみたよ!!

僕が現在所属しているウォンテッドリー

 

そのミッションは、

 

シゴトでココロオドルひとをふやす。

 

そのためには、

「自律」「共感」「成長実感」が大事、としている。

 

それを自社社員がそれを体現しているのもそうだし、サービスとしてもそんな環境を得られるきっかけを提供している。手前味噌だが、かなりイケてると想っている。

 

ただやはり、ここに個人が辿り着くまでのベースを作るには?(きっかけの前の段階)ってのが僕個人としての社会的な課題感であり、関心ごとであることに変わりない。

 

たとえば、

●現職で悩み弱ってる人
●大学で新卒一括採用に飲み込まれていく人
●高校で優秀だが家庭環境等により埋もれている人

などなど。

 

このあたりを、引っ張り上げる「なにか」についてはやはり興味がある。

 

●現職で悩み弱ってる人

 

に関しては、概念的には

gototatsuya.hatenablog.com

 

に書いた通り。

 

●大学で新卒一括採用に飲み込まれていく人

には(実際にはそれより手前の人)、

www.wantedly.com

こんな機会を提供している。(写真は、坊主デブ時代w)

 

これはナウで力を入れられる動き。
現場を見ていると売り手市場ということもあり、だいたいの学生が就活時期になると新卒一括採用の就活のレールに乗ってしまうから、1.2年生から啓発啓蒙していくのがよいという現状の整理。

 

高校については今井さんのとこのD×Pさんみたいな素敵NPOもある。

www.dreampossibility.com

ここの入口出口の関係でコラボできたらいいなぁ。 

 

これらは、すべて「教育」になる。ただ、これらの人は優秀な人ってのが前提になっていることが多い。優秀だけどポテンシャルを発揮できてない人。

 

上記の例でいうと、心理的身体的に弱ってるとか、社会的通念や価値観のせいだったり、環境要因だったり、、「教育」とは「制限を外して」あげるっていうことになる。そういう定義になるのではないかと考えている。

 

そこでこんな面白い対談。

weblog.horiemon.com


堀江貴文さんが言ってる「教育」は、戦中戦後のいわゆる教育、逆にできるだけポテンシャルを一律に「制限をして」そのかわり身の安全を守るもの。工場で小さい子の身を守りながらを働かせるため。そのあと高度経済成長で企業戦士を作るところまでは、機能していた。それがまだ続いているからオワコンだ、と。そんなようなことを堀江さんの著書『すべての教育は洗脳である』でも述べていたはず。

 

対して、ひろゆきさんがここで言ってる「教育」はより広義なものな気がする。

だから噛み合ってない。てか実は同じような方向のこと言いたいような気さえする。

 

優秀な子だけ教育して制限はずすってことと、埋もれてる子を発掘するための教育ってのは、実はほぼ同義な気がしていて。。何を持って優秀かってのもあるけど。

 

それこそ冒頭に戻って、「自律」「共感」「成長実感」を感じることができる才能がある子ってことかもしれないけど。それが何かしらでマヒってたり、埋もれてたりする。

 

そう考えると、小中学生からのキャリア教育も、今後は重要になってくる。

マヒったり埋もれたりする前に、本来の自分に気づいちゃえばいいわけで。

 

例えば、weworkがこんな取り組みをしている。 

ideasforgood.jp

 

あとは、働かなくてもいいってベースの考えは、すごくいいと思っていて、働かなくてもいいのに、仕事を通してなにかを成し遂げたい、自分の力を発揮したいってピュアな想いからみんな(働きたい人は)働けるから。

ベーシックインカム、AIによる作業的な仕事の消滅で、まさに「仕事」が「活動」になってゆく感覚。うちの代表は「趣味」になると言っている。このあたりはまた別途詳しく書きたいテーマ。

 

まとめると、

僕は教育は「制限を外す」ものであり、「ポテンシャル」を発揮させることを目指すものであり、その人の自分にとっての「幸せ」とはなにか?に導くものであるべきだと想う。

 

これは子供だけでなく、大人に対しても必要な「教育」で、今の会社でモヤモヤして自分の力を発揮できてない人が、ポテンシャルを発揮して、幸せに生きれば、日本の生産性は爆発的に上がり、まだまだ国力が伸びるだろう。(ココ2、3年以上ずっと言い続けてるw)

 

僕はやはり、皆が「本来の自分を発揮して、幸せに働く世界」を創りたい。