後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

タンクトップ卒業します。

去年、本を出してやりきった感があります。個人として伝えたかったことは一旦伝えきってしまい、伝えたいことがないのです。

 


またタンクトップによる出落ち感というか、自分の中身のなさにも嫌気がさしたのもあります。あとは、僕は一人ではなくみんなでなにかを作ることしかできないんだと改めて気づきました。

 


今年のテーマでもありましたが、地に足をつけてまた自分の中身を充実させて、その上でまた「世の中にどうしても伝えたい」という衝動が生まれたら、また何か新しいことを始めます。

 


いまはとにかく黒子でいいんです。いや、黒子がいい。いろんな立場で仕事をしてきた自分が、メディアやプラットフォーム側に立って、何ができるか(貢献できるか)を考えて、行動したい。それだけな感じで、最近あまり欲がないです。

 


幸いにも(僕の能力はともかくとして)僕の周りにはいつも優秀で人間性も素敵な人たちで溢れてますので、その人たちを僕なりにサポートしながら、僕は僕で僕にしかできないことを引き続きやっていろんな化学反応が起きたら嬉しいです。

 


やっぱり僕はコラボ的な仕事が好きだし、仕事は全てコラボで成り立つものだと思ってます。

 


思えば、ずっとそんな環境にいさせてもらってます。

 


それには相手や自分の「理解」「共感」そして「尊敬」また、そのベースには「愛」が大切です。お互いを思いやりながら、働いて、生きていける環境に感謝してます。

 


話はそれましたが、伝えたいことがなくなったので、より「後藤達哉」として下心のない発信になっていき、より面白みのないものにはなっていくと思います。

 


だけどそれが自分だし、そんなじぶんが最高なのです。

 

そう考えると、またなんでもできるし、なんでもチャレンジできます。


回り回って何者でもない自分。ただただ「後藤達哉」。

 

そんな自分を楽しみながら生きていきます。

 

 

ありがとうタンクトップ後藤、永遠に。

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回り回って何者でもない自分へ。

僕は自信がなかった。

 

小さい頃から。

 

いつも何かに怯えていた。

 

だから、好きなことより、できることを優先させてきた。

 

大人になって、それにより磨きがかかり、とうとう自分がわからなくなった。

 

期待、実績、肩書き、ブランド、、、積み上げて積み上げて身に纏った鎧が重くなって動けなくなった。

 

 

自分は何かになりたかった。

 

何者かになれると信じていた。

 

だけど

 

何者かになろうと努力すればするほど、「本当の自分」から遠ざかっていった。

 

 

僕は「なりたかった自分」にはなれた。自信もついた気がした。

 

叶えられる夢は全て叶えた。でも過ぎ去ってしまえばそれは自分の本当に望んだ夢だったのかもわかりはしない。

 

叶えてしまえば実績だけ残って、それは古い自分になる。僕はもうそこにいないのに。

 

別に悲観的になっているわけではない。少し燃え尽きたのかもしれない。あるいは、充足感のなかで、全てに感謝という気持ちさえ持っている。

 

 

だけど「本当の自分」はいまだにわからないままだ。

 

 

何度目だろう?

 

またここに戻ってきた。

 

ゼロ。原点。スタートライン。

 

 

僕はただの会社員。

 

いや、僕は、ただの人間だ。

 

俺は俺だ。

 

 

回り回って何者でもない自分へ。

徒然なるままに未来を考える #2

マスメディア、というかテレビは古き良き時代からの大衆のものと見せかけて今はあまり「個人」にむいてない気がしていて。

 

というか(ビジネスだからある程度仕方ないのだけど)クライアントがtoBで、視聴者もそれに紐づく形になっている。

 

つまり大企業のサラリーマンが大企業のサラリーマン向けに作ったもの、になってる(極端に言うと)。

 

まず、そんな構造になっていて。

 

 

で、いまは「会社中心」の時代ではなく「個人中心」の時代。そこで(不安定な時代なら尚更)ギャップが生まれてくる。


影響力があるところ(政府やメディアなど)こそ、「個人」の幸せにフォーカスしないといけない。じゃあ自分ならどうするか。

 

先人たちがつくりあげたアセットを活かしながら、構造や仕組みを少し捻った事業を考えられないか。←今ここ。

 

好きな作家やYouTuberなど著名人がテレビを批判してるのがつらみ。

 

でもそこにもヒントがある。マスメディアや日本が変わるための。

 

どちらを完全になくすとかではなくて(もちろん!)、キーワードはやはり【調和】なんだよなぁ。。

 

(ギリ残ってる)デカいところの「影響力」とちいさいけど確かな「想い」の融合、みたいな。ポジティブな増幅、みたいな。(the 抽象!w)

 

 

このあたり共感していただけるような社外も含めた仲間たちといろいろアイディア出ししたい気持ち。

 

徒然なるままに未来を考える #1

働かなくていい世の中(働きたい人は趣味みたいに働く)がベースで、仕組みを構築して、あとは分かち合い、助け合いの世界観なのかもなぁ。

 

シンギュラリティやらがセットで語られていたが、事態は加速している?というか文脈変わらざるを得ない状況?

 

そのほうが安心して「生きる」ことに集中できる気がする。

 

 

例えば、子供産んだりとかも。

 

第二子第三子の(経済的含めた)不安とかメンタルブロックは僕もそうだしある人多いだろうし。このご時世なら尚更。

 

日本はできる?日本はどうする?(てか地球どうする?)試されているのかも。

 

地方からモデルケース的にボトムアップで再興していく日本も間近でみてみたい。

祈り、則天去私。

今こそ自分軸だな〜。これまでの価値観が強化されていく感覚。あるいは、崩壊していく場合も。だけどそれも急じゃない。だんだんと。どちらにせよ悪いことでも恐れることでもありません。

 

なにを失ったかではなく、なにを得たかに目を向けたい。得られたものもあるはず。それは必ずしも「モノ」ではない。価値観とか経験とか時間とか愛とか。

 

強さより賢さより変化に対応。進化論。できれば半歩先を、狙う。

 

今こそ、怖れを手放し、愛に生きると決める。

政府の批判は簡単だけど、ふと冷静に、その裏になにがあるか?その理由はなんなんだろう?そう考えるようにしてる。

 

すると実は緻密な計算がされている(ような気もしてくる)。自分のなかで腑に落ちることもある。

 

個人のレイヤーから、国レベルのレイヤーまで、現代(いま)の僕らのため、さらには、子供たち世代のために想いを馳せる。

 

そんななか息子は6歳になりました。(私はもちろんほろ酔い)

 

去年は充分自分の為に生きました(あるいは亡き父や祖父のため)。

 

この2年で、もうやりたいことはない、と言えるぐらいやりたいことをやり、自分の私欲、夢を全て叶えました。

 

自分の実力以上のことに常に挑戦し、カタチにしてきました。エネルギー(お金もw)たくさん使いました。大放出。

 

今、改めて、ゼロベースで「やりたいことリスト」を作成しよう(書けば全て叶います)、そう思いこの数日ウンウン唸ってました。が、なにも思いつきませんでした。(ついに自我を超えたか?w)はじめてかもしれません。

 

今年はやはり自分のことより、仕事や家族にフォーカス。自分が主役じゃないことにどれだけ向き合えるか。制約のなかでなにができるか。みたいなイメージが降りてきています。

 

そのなかでまた新しい自分に出会いたい。いや、出会わなくてもいい、のかもしれない。そんなこともどうでもいい。

 

2019と2020でこんなにも心境が変わるのか、と戸惑ったり不安になったりすることもありましたが、良い意味であきらめ、手放し、いまはフラットです。

 

世の中は大変なことになりました。不安にならないわけはないです。ただ、そのなかで、冒頭に書いた通り、自分軸。ポジティブに捉えて変容していく人が生き残ります。コロナによって奪われたことではなく「与えられた」ことに気付けるか。

 

いや、そんなことも考えすぎずに、目の前の幸せにフォーカスすることなのかもしれないな。

 

息子はプレゼントのポケモン不思議のダンジョンをさっそくグイグイ進めている。オヤジ(私)はほろ酔いでそれを見ている。妻とはこれまでを振り返って、、感謝し合う。それでいいじゃないか、とも思う。

 

#祈り
#則天去私