後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

神様に使われたモン勝ちみたいなとこある

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やりたいことって、いくつになってもなかなかみつからない。やりたいこと探し、自分探し、向いてること探しに悩んでいる若者も多いだろう。いや、若者だけでなく中年の人だからこそ悩む、そんな時代かもしれない。

 


僕は本などでも、やりたいことを考えるのではなく、やりたくないことを考えてみよう、と書いたり話したりしていたかと思うが、今日はそのあたりと、最近感じている視点、切り口とを掛け合わせて話したい。

 


僕は、結婚する前年ぐらい26歳ぐらいから、自分の「欲」で生きる人生から、自分が何か(神的なもの?)に「動かされている」人生にシフトし始めているな、と感じるようになった。

 


自分がやりたいという感覚は薄れてある種、無気力とも勘違いしてしまうような感覚を一瞬経て、瞬間、瞬間に天命を得るような生き方にシフトしている(大袈裟かもだが笑。てか言語化ムズ)。子供が生まれてからそれがさらに加速している。

 


なんというか、自分の意識ではもう及ばないことに動かされる感覚とか(しかもそれに素直に乗った場合、うまくいく)。自然な流れに乗る感じ。だからやりたいとかって話とちょっと違う。

 


神様に使ってもらっている感覚というか、、若い時は神社にいくと「神様お願いします」ってなにか願いを叶えようとしてた。それが「神様いつもありがとうございます。もっと俺を使ってください」みたいな変化になった。

 


それと「やりたくないことを考える(というより感じる)」って話はすごく繋がると考えていて。。

 


つまり「やりたくない」というのは違和感であり、サインであって自然な流れに反している可能性がある。

 


「神様に使われてるモード」に入ってる時は特にそのサインというか、そっちじゃないよ!って言われている気がするのだ。

 


もちろん、やりたくないことのなかにも一見、やりたくないけど、実はやりたかったこと、得意なことが隠されているパターンもある。ややこし。

 


だから、まずはやってみる。頑張ってみる。続けてみる。ってことしかないんでしょうけど。

 


26.7歳で一回やり切った感を得たり、ビジネスの基礎筋力を鍛えてもらえたのは、やはり財産というか僕のその後のキャリアのベースになっている。

 


その上でいま、34歳、今年35ですけど、また基礎作り直して、頑張りたいなというモードに入ってます。

 


去年は実を刈り取り切って、いま、また種を撒いているイメージ。

 


次なる収穫の時期に向けて、神様使われモード全開で自分らしい働き方、生き方をしたい改めて。使命を生きる人生をより加速していきます。

 


冬眠から目覚めて、いよいよ準備段階に入ってきました。

 


神様使われモードの人生、楽しんでいきましょう。

 

そのロジックでいくと、やりたいことがないほうがむしろ勝ちなんじゃないか?新たな才能や使命が開花するんじゃないか?とポジティブにも捉えられますからね。

 

やりたいことがあればもちろん、ラッキー!

なくても、ラッキー!

 

そう考えられたら、楽しめそうですね。

 

 

追記

 

夏目漱石の則天去私に近い感覚かもしれません。則天去私の若年化現象?ミドルエイジクライシスの若年化は則天去私の若年化に繋がる。そんな時代なのではないか。