後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

「痛み」が「やさしさ」を育てる

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ここのところSNSでも弱気というか愚痴っぽい投稿が続いてしまっている。

特に身体的な調子が上がってこず、メンタルも引っ張られてしまっている実情。

 

だけど気持ちだけでも前向きに、と決めたので、ここで、痛みや、挫折、苦境をポジティブに捉えることを試みる。

 

 

思えば、自身初の大きな挫折といえば11、2年前の社会人1年目の挫折だ。何度も語ってきてはいるが、配属2週間で会社に行きたくなくなった。

 

学校も含めてどこかに行きたくなくなくて、かつ、どこにも行きたい場所がないという状態ははじめてだった。そのとき不登校の子の気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がしたのだ。生きづらさみたいなものも社会の荒波に放り込まれて初めて感じたようだった。というよりその生きづらさの感覚を(とにかく頑張ることで)蓋をしていたことに気づいたといったほうがいいかもしれない。

 

このときすべての当たり前が当たり前ではなくなって(友人、住む場所、家族、などなど含めて)、すべてに感謝なのだなと気づいたのだ。

 

と、ともに他人の気持ちが少しはわかるようになった気がした。人は自分が経験したことでないと、それを「感じる」ことができない。

 

例えば、ぜんそくで夜がつらい、という人を前に、大変ですね、と言うけれど実際経験してなきゃ、ふーん、つらいんだろうなという程度の感じ方なワケで、想像の域を超えない。そもそも想像しない。実際なっていれば、あの辛さか、と想像できる。だけどAさんとBさんのぜんそくの度合いは違うし、誰しもが完全に同じ辛さや、痛みを味わう(共有)することはできっこない(また屁理屈言ってる)。

 

つまり人は相手のこと(言ったことややったことつまりは言動)を自身の「フィルター」を通してみている。もちろん、フィルターを通さずにみるってことが本当の意味で「みる」ってことなんだけど、どんなに優秀なカウンセラーや占い師でも、ひとはひとなので、どうしてものその人のフィルター(価値観とか)を通ることになる。

 

てことはそのフィルターの層の厚みというか、どちらかとういうと幅かな、振り幅を持っている人が相手のことを想像しやすくなる。振り幅ってのは良いことも悪いこともたくさん経験していて、そのギャップが大きいってこと。

 

そのフィルターが「やさしさ」につながる。つまり痛みを感じられる人は優しさを手に入れられる。弱さを持っている人ほど強いってこと。優しさは相手を感じる力のこと(他人を理解なんてできっこない。ただ、感じることはできる)。

 

 

だから辛いことがあったら、また優しさや強さを持てるようになったとポジティブに捉えるようになるべくしている。そもそも僕は経験でしか語れないし、書けない。

 

そういった意味では、人生すべてがネタというか、オイシイってことになる。

 

だいぶ前向きになってきたところで、結びとします。

 

1年の切り替わりは、元旦ではなく節分みたいですね。気持ちも運気も切り替えていければ。今年も面白い一年になりそうです。