後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

「自由」であるためにやっている唯一のこと

帰国途中の飛行機で書いている。なのでエモめだ(いつもか)。初心に帰れたのでここに記す。

 

僕は肩書きや地位や約束された(用意された)道を意識的に捨ててきたつもりだ。あえてヒラ社員で入れてくれ、といって入った会社もある。

 

僕は人生、積み重ねより、積み減らしをしてきた。

 

いま流行っている「転職の掛け算」のような形とも無縁で、5回転職6社目だが、同業界のステップアップを狙ったものでもない。むしろ同業界は避けてきた。

 

だからキャリアビルダーではなく、ジョブホッパーだし、もっと言うと、行き当たりばったりのキャリア形成、、、キャリア、、そんな言い方も嫌いで、ただの生き方だ。

 

それは自分が自分であるために「意識的に」やってきたことだ。給料をあげるためでも、出世をするためでもない。

 

自分が自分であるために、だ。

 

もちろん金や地位をある時期にある一定以上あげておくことは「生きていく上で」有用だ。

 

ただ、それと「自由」を手に入れることはイコールではない。(イコールの人も稀にいるが)。

 

僕は自分にとっての「正しさ」だったり「自由」だったりを最優先にして生きてきた。

 

そう、自由とは自分であることに他ならない。

 

自由とは、まず自分であること。自分であるためには、身につけたものをとっぱらっていく必要がある。

 

岡本太郎氏が『自分の中に毒を持て』で、人生は積み重ねではなく、積み減らしである。というようなことを言っている。

 

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冒頭でも述べた通りで、その考えに僕は共感し続けている。最初の転職をした11年前から。

 

人はどうしても努力して手に入れたものは、手放しづらい。ただ、そうなると多少いやなことでも「もったいないから」とそれを無理に維持しようとする。

 

その「積み重ね」が、自分らしさを損なうことであり、不自由の始まりなのだ。

 

だから僕はゼロになる。定期的にゼロになることを自分に課している。

 

本当のゼロになったら人は自分を、生きるしかなくなる。そう考えている。

 

そう思えたとき、新しい運命が開ける。いつもそうやってきた。

 

本当のゼロにはなれないとしても(世の中結局、バランスが大事)、そのような気持ちは死ぬまで持っていたい。

 

それをもしかしたら「青春」と呼ぶのかもしれないな。

 

守るものがたくさん増えて、それを一生懸命守りきるのは当たり前だけど、それを言い訳して錯覚して、ただ、守りに入ってはいないかい?

 

成功は捨てよう。前に進もう。そしたらたくさん夢が叶えられる。一個叶えたら、次、また次って。そうやって人生すらホップしていく。

 

本当に大事なものだけ握りしめて離さなきゃいい。あとはそんなに手元には残らないはずだ。