後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

君はどんな40歳に、成りたいのか?

どんな40歳になりたいのか?どんな人生を送りたいのか?

 

自問自答しながら、生きている。

 

2008年4月1日、22歳。

 

僕は丸の内の某一流企業の入社式に230人の同期と並んで座っていた。

 

前方には社長、役員のお偉方。35年後にあそこの席を狙っている者、とにかく40年後の退職金を待つ者、、おそらく仕事自体に夢や希望を持つ者がいない中で、僕は誰よりもダントツに辟易していた。圧倒的勘違い。圧倒的ナルシシズムで。

 

いや、違うんだ。俺だって地位や名声、何より安定、そして、40年後の保障を求めてきたはずだった。だけど、だけど何かが違う。

 

もやもやもやもや。

 

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

「こんな大人になりたくない!!!」

 

なぜだかわからない。俺の直感がそう叫んだ。

 

地位も名誉も金も得た大人たち。いや、実際に人間的にも素晴らしい人もいるんだと思う。今ならわかる。だけど、その時はとにかくこんな大人になりたくない!そう思ってしまったんだ。

 

同じ髪型、同じメガネ、同じハゲ、同じスーツ(実は高いんだろうけど)、、、これが頑張った先の未来なのか?生まれてきた意味、目的はこうなるタメだったのか?

 

僕は入社式、つまり入社初日に、その会社を辞めると決めた。

 

 

これは12年前に実際に抱いた感情だ。

 

なりたくない。そう思った時代から、どうなるべきか。そう考える時代に来ている。

 

40歳。

 

自分がなりたくないと思った「おじさん」のスタートライン。

 

34歳。40歳へのカウントダウン。

 

22歳から見る34歳より、34歳から40歳のほうが断然近いミライ。

 

なりたくないではなく、どうなりたいか。

 

そう考えるミライ。

 

今まで何か目標を持って逆算して生きることを敢えて避けてきたが(逆算して努力してきたことで、世間の価値観にまみれ、飲み込まれたから)、どんな40歳になりたいか、という自分自身の目的に対しての逆算を考え始めた。

 

とにかくカッコいいオヤジになりたい。魅力的な男になりたい。そう思っている。

だけど、自分にとって「カッコいい」とは?「魅力的とは」?そんな抽象的な言葉を具体的に落とし込まねばと、日々、自問自答している。

 

もちろん自分のため、家族や親友や仲間や周りためにも「安心」するための金や時間の自由を手に入れることはもちろん(これらは「想い」を実現すれば、後からついてくるもの)、「想い」そして「夢」としては

 

「個人で世の中に対して、影響力のある人」になる。

 

ポジティブな影響を与える人になりたい。

 

圧倒的勘違いと圧倒的ナルシシズムで。自分自身の自由を体現して、会社員でも普通の人でも凡人でも、こうやって制限や思い込みを外して生きていいんだ。生きていってもいいんだ。そう伝えたい。

 

あるいは「こんなバカみたいな奴でもやれるんだったら、俺も、私もやってみよう!」と思ってくれたっていい。恥ずかしさや羞恥心なんて、もうない。

 

とにかく直接向き合うのではなく、自分が発信することで、人生をネタにすることで、人が前を向く「きっかけ」になりたい。これはもうずっと、何年も変わらない「想い」だ。

 

34歳、本格的にスタートさせて(出版、YouTube。ブログ、SNSなど)、40歳までに、何か自分だけの、自分だからこそできるカタチを示す。

 

そして、「個人」と「大企業」のアライアンスで何か物凄いものを生み出す。あるいは大スポンサーとのコラボをする。そのために、圧倒的にコンテンツの「質」と「量」を上げていくんだ。