人が発信を辞めてしまう理由
はじめは勢いで怖いもの知らずで書いていても、だんだんと賛否だったり、周りの目を(自分でも気づかないうちに)気にし始める。
そうすると怖くなって、書けなくなる。
「怖れ」を受け入れて、それでも書きたい、伝えるべきことが自分にはある、と強く思える人だけが続けられる。
“できればなにもしたくない”と“どうしてもなにかを成し遂げたい”という葛藤がトルネードのような原動力となって己を突き動かす。
突然ですが、いま、本の企画をしています。
自分の中での構想から4年目に突入し、出版社の方とコンタクトをとりはじめてから2年目になります。
有名人でもなんでもありません。無謀な挑戦かもしれません。実際、長い道のりです。
その間、ブログ等とは別に2~3冊分の文章を書いたと思います。当然、はじめはボツになり、自分でボツにしたものもあります。
最初は自分の書きたいことを書いているだけで自伝的になり、ボツ。その後は、だんだんと書けるようになったものの、周りの目が怖くなり、極論を断言できなくなり、ボツに。
つまり、腹が決まってなかった。
さまざまな人格や役割が自分の中にあるなかで、今ひとつ尖りきれなかった。
なにかを失うリスクも、当然ある。
守るべき家族もいる。
誤解もされるだろう。
途中で辞めてしまおうかとも思った。
作家がペンネームを使う理由もそこにあるのかもしれない。
だけど俺はあきらめない。
実名で、一個の人間「後藤達哉」として、自分が「正しい」と感じている「世界」を表現する。
世の中にぶつかっていく。
そして、誰か一人でも、仕事や人生で悩んでいる人が、また輝きを取り戻す「きっかけ」になれればと願う。
もう怖くない。
誤解されたっていい。
俺はやっぱり、叫び続けたいんだ。