後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

人はなぜ働くのか?(年頭所感に代えて)

年頭所感として、なぜ働くのか?を改めて考えたいと思う。

 

なぜ働くのか?は、11年考え続けてきたことであり、人生最大の「問い」の一つである。現在時点での私なりの「なぜか」を、交えながら記述する。

 

ちなみに12月末でウォンテッドリー社を去り、束の間の無職でそれを考えることはとても有意義であることに違いない。

 

フラットというか、ピュアというか、なににも「忖度」せずにそれを考えることができる。なにせ、33歳、無職の年明けである。

 

無論、昨年はいろんな「忖度」を抜きにした「全出し」を試みたわけだが、立場がある身としては100%そういうわけにもいかないだろう。

 

もちろん、父親であるとかそういった代え難い役割は持ってはいるが、社会においての役割はまだないなかでの発言になる。

 

また昨年はいろんな「肩書き」を自分につけることを試みた。サラリーマンでありながらも、皆みなさん本当は役割をたくさん持っていて、それぞれに「価値」があって。それらを自分自身ではどう言語化し、どうありたいのかを試行錯誤しながら発信した。

 

事業開発プロデューサー、心理カウンセラー、メンタルコーチ、小田原市移住サポーター、フィットネスモデル、講演家、作家、、、などなどスラッシュキャリアとしての発信を意識した。総称した肩書きはないかと誤解を恐れず「フリーダムサラリーマン」とした。

 

今年は、これらの活動はもちろんやっていくとして、そこに縛られないなにかになることを意識したい。

 

正確にはなにかになるのではなく、自分である、ということ。だ。

 

肩書きをつけることはなりたいそれに向かうには効果的であるが、それに引っ張られ縛られ、なにかになろうとしてしまう危険もはらんでいる。ツイッターとかみてると自分自身がそうなりがちだ。みなさんブランディングがうまい。

 

だから今年は翻って、あくまでも「俺は俺だ」という精神を取り戻し、限りなく「後藤達哉」でいたいと思う。よってブログタイトルも戻す。

 

SNS等での発信も出来る限り「素」であることを意識する。つまりは「シンプル」に。削ぎ落とせるものは全て削ぎ落としてしまいたい。本当に必要なものだけが勝手に手のひらに残っていることを理想とする。

 

さて、前置きが長くなってしまったが、なぜ働くのか?について。

 

「働く」ということについて、考えるときにはまた「原体験」について考えることをオススメする。

 

先日、Facebook等でも書いたが、、、

 

一度ドロップアウトしてマイノリティになる体験をすると、自分がなにかおかしいのではなく、世の中がおかしいのではないか?という「気づき」を得ることができる。

 


そこで、世の中を嫌いになることもあるだろう。まずはそれでいい。私も10年前に資本主義経済というか、ただただ上を目指す世界に嫌悪した時期がひとときがあった。

 


だがしかし、そんな季節を越えて(でもその感覚は忘るまじとは思う。若かりし日のピュアで不器用な想いと、今、その状態にある人の気持ちをないがしろにしないため)、世の中を嫌いになるのではなく、決して拗ねることなく、世の中を好きになるためには?

 


「世の中を好きになるには」

 


そのために己が果たすべき「役割」はなにか、それを考え、行動することの「積み重ね」が、真の「キャリア」なのではないか。

 


と考える今日この頃。

 


だから、ドロップアウトの原体験は早くきてしまってもいいのかもしれない。

 


そこから本当のキャリア、自分の人生がスタートするのだから。

 

、、、

 

そう、ここで出てきたのは「世の中を好きになるには?」というキーワード。

 

まずは、自分自身が世の中を好きになるために働き、世の中の人が世の中を好きになるために、働く。そういった世界にするために、なにかを担う。そのなにかが役割であり、使命なのではないか?と。

 

 

今まで「自分は楽しく、世の中はもっと楽しく」をモットーにやってきたが、「好きになる」は「楽しい」が含まれるから(楽しいから好き、的な意味合いにおいて)、より大きな言葉、より高い次元にいったと言えなくもない。

 

そう考えて振り返ると、世の中を「好きになる」ために「楽しい」を提供したり「シゴトによる人生の充実」を提供したりする仕事をしてきたとも捉えられる。

 

そう、

 

「好きになる」には無限の手段がある。

 

それは「優しさ」「美しさ」「強さ」「安心」「安全」はたまた「刺激(楽しいに近いか)」などなど。

 

今年はこの辺りを念頭に置き、冒頭に述べた通り「シンプル」に、また「世の中を好きになるため」に生きていく。

 

まず自分自身を好きになり、世の中を好きになること。そういった世の中にしていくこと。

 

そうした「積み重ね」によって、子供たち世代がこの我が国、日本や、世界を「好きになる」ことに繋がることを信じて。