パラレルキャリアは3つの役割に分けて考えるとうまくいく。
「パラレルキャリア」
最近よく聞く言葉だ。
僕は、この言葉に違和感がある。
今、わざわざいう必要はなく、本来の意味とは違う意味で使われているから。
そもそも「キャリア」という言葉。
就職の場面でよく使われる。経歴に近い意味合いで捉えられていると思う。
まず僕はそこに違和感がある。
僕が本来的な意味ですんなり腑に落ちる定義は以下である。
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「人が,生涯の中で様々な役割を果たす過程で, 自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ね」
つまり、意訳すると「生き方の積み重ね」がキャリアなのだ。
人の役割はそもそも一つではない。僕自身も、「社会人」であり「地域住民」であり「夫」であり「父」であり(「子」でもあり)、「男」である。
つまり人、ひとりが本来、複数の役割で生きている。
そもそも、パラレルキャリアなのだ。
それが冒頭の、わざわざいう必要はなく、本来の意味とは違う意味で使われているから。
という文章のなす意味合いとなる。
これらを念頭に、以下の3つの役割で考えて行けば、自分という人間を生きる意味において、ちょっとはうまくいくのではないかと、整理してみた。
前提としては、ミッション(想い)ベースで考えていく(前回「原体験」の話で書いたとおり、僕は自身の意志や想いがないところに生きられないからだ)。
⑴社会
(想い)それぞれが本来の自分を活かして、輝いて働く(生きる)世の中にしたい。
これは何度も書いている通り。
今は正社員としてウォンテッドリー に属しており、自分の目的と会社の目的が限りなく近い形で、働かせてもらっている。
ここは会社での自分のミッション、責務を全うするのみ。これはサラリーマンの人は、みんなそれぞれ想いは違うものの、同じだと思う。
個人としては、今のところ、あまりいわゆる副業をする気は無い。
自分の目的と会社の目的がマッチしていると、あんまり他に全く違うフィールドで働き
たいと思わない。(すんごい好きなモノがあって、それに関わりたいとかあれば、それはそれで素敵だと思う。あとは昔、お世話になった会社を手伝う、とか。)
同じようなビジョンやミッションを持っている会社や個人と関わって、手伝うというよりももっと手前で、損得抜きに、助言(アドバイス)したり、友達になったりって感じが今は心地が良い。
そこでその共感、尊敬している人の事業が伸びれば(拡がれば)、世の中が僕の目指している世界に近づくわけだし、それが自然な形で、ウォンテッドリー とコラボできるようになれば、僕の仕事にも繋がるわけだ。
それは、前回、教科書には載ってないアライアンス(パートナーシップ)でも書いた通り。
だから小遣い稼ぎのための副業ってのは興味がなく、あくまで目指している世界に共感できる人と、ピュアに関わっていたいという気持ちの方が強い。
むしろ金を払ってでもやりたいことを、まずはやってみるといいと思う。その方が個人の幸福度は上がり、社会への貢献度も上がって、世の中がもっと良くなる気がする。
で(話はちょっと逸れたけど)、
僕じゃなくてもいいなぁと感じるときがきたら(あるいはやり切ったら)、またそのときはそのとき。いつもどおり全てをリセットして、僕にしかできない新しいコトに向かうだろう。その繰り返しだ。
⑵地域
(想い)住んでいるところを良くしたい。息子の地元をよくしたい。
これは僕にとっては小田原。人によっては今住んでいる場所ではなく、地元や、お世話になった地域でもいいと思う。
僕の場合はやはり、子供がいることが大きい。息子が今、4歳なので、その子が住みやすい、生きやすい地域にどうせならしていきたい。
それに、まだ越してきたばかりで新参者ではあるが、ガチで家を買って移住してきているので(バカンスではないし、ローンもあるし、生半可な気持ちではない)、そこは自信と誇りを持って(住んで)生きていきたいと思っている。
小田原で、そもそも僕が何に関わるのか、それは僕にもわからないし、求められなければ特にやる必要もないと思っている。
だからまずは、知ること。そして知ってもらうこと。能動的に動けるのはそこしかないのだ。
まずは現状を、勉強していきたいとおもっている。
日々の生活で色々と感じることも重要だし、以下のような取り組みがあるようなので、行ってみることにした。
報徳流地方創生塾
前述の(教科書には載っていないアライアンス(パートナーシップ))の通り、まずは知ること、知ってもらうこと。つまり「理解」があって、「共感」があり、「尊敬」につながる。「共感」「尊敬」したもの同士が繋がり、何かを生み出していくことなら極論なんでもいい。
⑶家族
(想い)夫婦、家族と一緒に幸せに暮らしたい。
今まで述べてきた役割は、正直、代えが効く。こんなことを言ってしまっては元も子もないのだが、極論、僕でなくてもいいのだ。
だけど妻にとって「夫」であり、息子にとって「父」であるということに関しては、代えが効かない。
以前の記事。夫婦のあり方を考えてみる。これからの時代において。でも書いた通り。
夫婦でなにかプロジェクトをやったり、お店を出したりってことに憧れもあるが、現状その余裕がない(まだそのタイミングではない)。
また、いまはまだ夫婦間で「理解」→「共感」の移行の段階(「理解」→「共感」→「融合」→「創造」(共創))なので、子育て以外に向かうべき目的やプロジェクトがないと言った方がよいか。
ただ、記事でも書いたとおり、それは焦る必要はなく、どうせ一生一緒にいるなら死ぬまでに、とまでは言わないまでも、子供が独り立ちするまでに考えておけばいい話だ。
妻がやりたいことやっていることを直接、応援すること(それ自体を広めたりすること)も考えたが、それ自体にに僕自身の興味だったり、目的だったりがないからやめた。
それよりは間接的に、応援すること。
例えば、妻が何かやりたいことを、やるときに、土日に息子の面倒をみるとか、平日の夜に保育園の迎えをするとか、疲れたときに肩を揉むとか。そういった形で「応援」していくことに今は落ち着いている。「理解」は、しているから。
それらは、人によっては当たり前かもしれないが、パラレルで役割をこなす上で僕にとっては大きいことで、僕なりに一生懸命やっていることだ。
もちろん、妻に頑張ってもらっていることが大半で、それが事実である。そこはイクメンアピールしたいわけでは無いので、正直に言っておく。ただ、代えが効かない僕だけの仕事(役割)をしているということも、それはそれで事実なのだ。
よって、世の中的な「パラレルキャリア」に違和感がある人は、自分の人生の「役割」を考えてみるといい。
自分がどのような「生き方」をしたいのか、どのような「積み重ね」をして行きたいのか?
まずは、「社会」「地域」「家族」3つのカテゴリに分けて整理して考えてみてはどうだろうか。