後藤達哉の働き方、生き方、その思考。ぜんぶ。

仕事を楽しみ、輝いて生きる。

夫婦のあり方を考えてみる。これからの時代において。

熟年離婚てなんで起きるんやろね?(なぜか急にエセ関西弁)

 

愛だの恋だの冷めたとかって話なら熟年になる前にとっくに冷めてるだろうし、それは理由にならんやん。

 

じゃあなぜか?

 

それは、プロジェクトが終わったから、だと思っている。

 

夫婦ってのはある種プロジェクト的なところがあって、例えば「子育て」もそうだ。別に「財を成す」とかでもいいんだけどね。

 

つまり、共通の「目的」に向かって、一緒に走るパートナーなんだな。

 

熟年離婚はたとえば、子育ても終わって、夫の定年も迎えて、もう一緒に走る先がなくなった状態と言える。

 

ここにきて、終身雇用崩壊の話も絡んでくる。

 

なぜなら、終身雇用の時代は、定年を迎えて、夫婦で余生を過ごすことが「目的」として成立していた。だから僕らのじいちゃんばあちゃん世代は割と幸せそうだ。

ある意味どちらかがどちらかに依存している状態。これでよかった。

 

だけど、それがなくなった今、「目的」不在となる。

 

だから、子育て意外にも、夫婦で共通の目的を持つと幸せになれる気がする。プロジェクトを複数たちあげる的な。

 

じゃあ具体的にどうするか?流れとコツの整理。

 

そもそも結婚とは、それぞれが「一個の人間」として「独立」し「自律」した存在であるのに、それでもなお、一緒に居たいと想う二人が成す行為だと捉えている。

 

つまり、それぞれ一個の人間が、それぞれの目的を持った状態でスタートする。

 

そこに共感し、それぞれが応援する、みたいな関係。

 

いや、そっからいきなり行けたらいいけど、どっちかが好き勝手やり始めたら、いきなり共感は難しい。そっから理解(まさにうち。妻には苦労かけました)。あるいは、理解できなければ離婚。実際、世の中の夫婦ってそんな感じよね。

 

で、「理解」できたら、次は「共感」。

 

共感できたら応援できる。でも、できれば、そこで終わりたくない。そのあとふたりのなにかとなにかが合わさって(変な意味ではないw)、「融合」して「創造」するところまで行けば、素敵やん、て想う。

 

今は、お互いのやりたいことを応援する関係だとしたら(それでもじゅうぶん素敵)、その先の、夫婦でなにか一緒にできないか?というところまで考えてみると良い。

 

そのためには、それぞれの目的を(聞いてあげて)洗い出して整理して、理解する必要がある(会話はだいじよね)。

 

 

だから流れをまとめると、

 

「理解」からの「共感」からの「融合」からの「創造」(共創)みたいなイメージ。

 

長い時間かけてもいい。むしろそれを楽しむ。みたいな。

 

今を我慢して、老後を楽しむって時代から、

今を楽しみ、死ぬまで楽しむって時代に。

 

なんか仕事選び、会社選びとおんなじだよね。